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足利義満と金閣寺:室町幕府の栄光と終焉【京都・金閣寺】

足利義満と金額寺

• はじめに
• 足利義満の時代
• 金閣寺建立の背景
• 足利義満と金閣寺
• 室町幕府の全盛期
• 幕府衰退への道
• まとめ

はじめに
足利義満と金閣寺の概要についてです。室町幕府の3代目将軍として、義満は多くの功績を残しました。その中でも、美術文化の振興に力を注ぎ、金閣寺をはじめとした多くの寺社建立を支援しました。金閣寺は、北山の景勝地に位置し、庶民による寺社建立運動の中でも特に代表的なものの一つです。このブログでは、足利義満と金閣寺の関係について詳しく紹介し、室町幕府の栄光と終焉を描きます。それでは、さっそく始めていきましょう。

足利義満の時代
足利義満の時代では、この時代を代表する人物の出自と生涯、芸術と文化を振興したこと、そして南北朝合一を達成したことが大きな特徴です。義満は足利家の祖、尊氏の三男として生まれました。彼は若い頃から武勇に優れ、実務面でも能力を発揮していました。彼は国内で文化の振興に力を入れ、東山文化と呼ばれるものを生み出しました。また、南北朝の分裂状態を統一するために尽力し、当時の天皇を退位させ、新たな天皇を即位させることで南北朝合一を果たしました。義満は室町幕府を成立させ、日本史に大きな功績を残した人物です。

金閣寺建立の背景
足利義満が室町幕府を興し、日本史上の一大勢力として君臨した時代に、北山に金閣寺が建立されました。 建立の背景には、当時の宗教文化や社会情勢が大きな影響を与えたと考えられています。一般的には、権力者や武将らが菩提を弔うために自ら寺社を建立・寄進する「荘園寺社制度」が広まっていた時代に、足利義満が自らの権威を示すために、京都でも随一の規模と格式を誇る金閣寺を造営したとされています。 ただし当時の金閣寺は「銀閣寺」という名前で、それまでにも何度か建立や改築が行われていました。金閣寺という名称になったのは、1600年代に長谷川等伯が描いた絵巻物「洛中洛外図屏風」が広まったことがきっかけでした。そして、今日に至るまで多くの人々に愛されている京都を代表する名所となっています。 ところで、当時の社会は荘園寺社制度によって、大名や寺社、貴族などの上流階級が寺社を建立することで権威を誇示する時代でした。しかし、金閣寺は当時の下層民によって建立された「庶民の寺」であるという説もあるのです。中でも、金閣寺創建の指導者と言われるのが「荒地の翁(あらちのおきな)」と呼ばれる庶民の男性です。彼が金閣寺創建に至るまでの具体的な経緯や理由は不明ですが、創建された金閣寺は壮大な構造美や装飾美、そして自然と調和する庭園などが人々を引き付けました。 足利義満の時代に建立された金閣寺は、その後の室町幕府の栄光の象徴としても、現在でも多くの人々に愛されています。

足利義満と金閣寺
足利義満は室町幕府を築いた武将で、金閣寺再建に強い関心を持っていました。その理由には、足利将軍家の菩提寺としての役割を担うと同時に、将軍の権威を象徴する建造物であったことが挙げられます。また、義満は妙心寺とも関係が深く、金閣寺再建の際には妙心寺から寄進を受ける等、互いに支援し合う関係にあったと言われています。 金閣寺は多くの戦乱を経験し、足利義満亡き後は多くの修繕を必要とする状態に陥りましたが、幕府の力を背景に再建されました。それには、豪華な装飾品を収納していたとされる「金閣」の存在も大きな役割を果たしました。金閣は、将軍の権威を高めるだけでなく、寺院の華やかさや栄華を物語る象徴的存在でもありました。 金閣寺を見れば、当時の室町幕府の栄華と勢いを感じることができます。しかし、幕府が衰退したことで、金閣寺もその影響を受けることになります。豊臣秀吉が金閣寺を焼き討ちした際には金閣が失われ、代わりに現在の金箔が貼られた建物が建てられました。

室町幕府の全盛期
室町幕府の全盛期は、室町文化の発展と武家社会の繁栄が見られた時代である。室町時代を代表する文化が盛んになり、また、商業や手工業も発展した。武家社会も栄え、多くの武家が出現した。室町幕府の仕組みも整備され、管領や奉公衆と呼ばれる官僚が置かれ、幕府の支配体制が確立された。この全盛期には、建築や美術などの文化面においても隆盛を誇った。
幕府衰退への道
織田信長は室町幕府に対して攻め上ったが、その後豊臣秀吉によって乱が終息した。幕府はすでに統制力を喪失しており、戦国時代の混乱は終わりを迎えた。その後、豊臣氏は金閣寺を改修し、幕府の象徴的な建造物を統制下においた。幕府の没落は不可避であり、豊臣氏の台頭はその結果だった。しかし、幕府はその隆盛期に、美術文化と武家社会の繁栄を支え、日本文化の黄金期を築いた。今日、金閣寺はそれらの時代を象徴する偉大な建造物となっている。

まとめ
足利義満が金閣寺を後世に残すために建てさせたが、室町幕府の衰退に伴い豊臣秀吉によって改修された。足利義満の美的感覚と文化振興によって育まれた室町文化は没落後も残り、日本の美術史に大きな影響を与えた。

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